大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和50年(ワ)10850号 判決 1979年3月08日

原告

中村博幸

右訴訟代理人

倉田哲治

外三名

被告

右代表者法務大臣

古井喜実

右指定代理人

菊池健治

外一名

主文

一  被告は原告に対し金三〇万円およびこれに対する昭和五一年一月一〇日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その三を被告の負担としその余は原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一1  請求原因1の事実(編注――いわゆる「日石事件」と原告の関係)はいずれも当事者間に争いがない。また、同2の(一)の事実(編注――検察官の冒頭陳述の内容)、同(二)のうち、中村について「同人は、本件搬送行為を担当していたとされる昭和四六年一〇月一八日午前中小金井自動車運転免許試験場において運転免許学科試験を受験していた」旨のアリバイが主張され、検察官においてそれを覆すに足る直接の証拠が得られていない事実及び同(三)のうち、検察官が本件被告事件の第二回公判期日において、「坂本は増渕・前林を中村から引き継いで搬送した」との冒頭陳述中での主張を「坂本は増渕・前林を氏名不詳者から引き継いだ」旨変更した事実も、いずれも当事者間に争いがない。

2  そして、以上の当事者間に争いがない事実に<証拠>を総合すると、本件被告事件において検察官が中村のアリバイ主張を覆すことができない結果本件搬送の中心的部分(第二走者)が空白となつてしまつたこと、また関係者の捜査段階における供述のうち中村の搬送行為に関する部分は全て虚偽であると言わざるを得ず、従つて同人らの捜査段階における供述の信用性については重大な疑義が投げかけられるところとなつたこと、そこで、本件論告においては、被告人坂本及び共犯者らの捜査段階の供述のうち、被告人坂本の喫茶店「サン」における謀議への参加及びそれに基づく本件搬送行為加担について供述されている部分の信用性を論証することが中心的課題となつていたことが認められ、他に右認定を覆すに足る証拠は存しない。

3  そして、請求原因3の事実、すなわち甲野検事が本件被告事件の公判廷において本件論告を行ない、その中に本件論告一及び二の各部分が含まれていたことは当事者間に争いがない。

二原告は、本件論告一(編注――別紙一)及び二(編注――別紙二)の部分において、検察官から本件搬送の第二走者=中村に代るべき真犯人呼ばわりを受け、その名誉を著しく毀損されたと主張するので、判断する。

前記一の2及び3判示の事実に、<証拠>を総合すると、

1  本件論告一の部分は「第一(総論)、三(中村隆治のアリバイ主張についての基本的見解)、3」の中にあらわれること、その「3」においては、本件論告の中心的課題である「共犯者らの供述の信用性」について検察官の「基本的見解」が示されていること、そして本件論告一の部分では、右結論に至る為の前提として中村が何故に虚偽の供述をするに至つたかその動機・原因が検討されているのであるが、そこにおいては、中村自身がこの点について本件被告事件の公判廷で為した証言に注目しつつも、「中村が説明している理由だけでは全く不自然・不合理であり到底納得できない」との判断のもとに、「中村は本件搬送についての知識を有し、真実弟をかばう必要を感じたため敢て虚偽の自供をしたものとしか考えられない性質のものである。」旨の断定的な表現がなされている。

2  本件論告二の部分は「第二(各論)、四(中村供述の信用性について)、2」の中にあらわれること、その「2」においても、やはり本件論告の中心的課題であつた「中村のアリバイ主張とサン謀議についての同人の供述の信用性の関係」がテーマとされており、この問題についての検察官の見解が示されていること、そして、本件論告二の部分は右見解を示した部分に引き続いて「何故中村が弟をかばう必要があつたか」の検討を通じて、右検察官の見解を論証しようとする箇所の一部であり、この問題について右1に述べたと全く同一の論法で「中村が弟の犯行を隠ぺいする必要があつたと真実考えたとすれば、中村は弟が本件に、関与した事実についてさらに具体的な認識を持つていたからである。つまり真に弟をかばう必要があつたからである。」旨言及されていること、ところで右表現はその一部に仮定的体裁を伴つてはいるけれども、それを肯定した上で立論が展開されていることは、前後の文脈からして容易に推察される。

3  しかしながら、本件論告当時、検察官は、本件搬送の第二走者が誰であるかについて何らの確証もつかんでいなかつたし、また本件被告事件においてこの点の立証をしたこともなかつた。

以上の事実が認められ、他に右認定を覆すに足る証拠は存しない。

右認定事実に徴し、<証拠>を総合して、本件論告一及び二の各部分について検討を進めることとする。本件論告中には原告が搬送の第二走者=アリバイの判明した中村に代るべき真犯人である旨明示的に表現されている部分は存しないけれども、本件論告一及び二の各部分は、いずれも本件論告の中心的課題について検察官の意見を理由あらしめるために述べられたものと認められるところ、本件論告一の部分では「本件搬送についての知識を有し」ていた中村が「真実弟をかばう必要を感じ」そのため「敢て虚偽の自供をしたものとしか考えられない性質のものである」との表現が、また本件論告二の部分でも、右と同じように「中村は弟が本件に関与した事実についてさらに具体的な認識を持つて」おり、その中村に「真に弟をかばう必要があつた」旨の表現が用いられておりこれらの表現をその前後に存する「その弟中村博幸」「弟のアリバイ」「弟の犯行を隠ぺいする必要」といつた用語と合わせて考える時、「中村の弟中村博幸(原告)が本件に関して何らかの犯罪行為を犯している」との印象を本件論告を聴く者に対して与えざるを得ないというべきである。さらに、本件論告一の部分においてはそれに引き続いて「そうだとすると、中村は、搬送の一部について、自らが運転したとする供述部分以外は、自己の経験を述べたものとして、措信できるものといわなければならず、榎下及び坂本の供述中中村が運転を担当したことに関する部分についても、右と同じ観点でその信用性を検討すべきである。」との検察官の基本的見解が開陳されているところからして、前記原告の犯罪行為とは中村に代るべき真犯人として本件搬送の一部を担当したこと、すなわち「原告は、爆弾及びその発送担当者を榎下から引きついで坂本に渡したところの本件搬送の第二走者である」ことを暗に表現し、右論告を聴く一般人をしてそのように認識させる内容を含んでいるものといわなければならない。されば、右のような論告が検察官甲野によつて、本件被告事件の公判廷という公開の場においてなされたものである。以上認定の結論よりすれば、本件論告一及び二の各部分は、いずれも原告の名誉を毀損するものといわなければならない。

この点について、被告は「請求原因に対する認否の3の(二)」頃において、右論告は第二走者が誰(原告)であるかを指摘したものではない旨主張し、<証拠>中には右主張に副う部分も存する。しかしながら、既に説示したところからして、右<証拠>は採用できないので、被告の右主張は失当というべきである。

三1 論告は公益の代表者として裁判所に法の正当な適用を請求する職責を担う検察官が、事件について最終的な意見を陳述するものであるところから、その内容は証拠調の結果に基づいた公正妥当なものでなければならず、従つて検察官が論告を行なうに際しては、それによつて第三者の名誉を毀損することのないように十分配慮しなければならないことはいうまでもないところである。そこで、右観点から検察官甲野の責任について検討する。

まず、本件被告事件においては、本件搬送の第二走者たる中村にアリバイが判明したためその中心的部分が空白となつており、その結果、関係者らの捜査段階における供述の信用性について重大な疑義が投げかけられるところとなつたこと、そこで本件論告においては、同人らの供述の信用性を論証することが中心的課題となつていたこと(以上前記一の2参照)、ところで本件論告一及び二の部分は、いずれも右中心的課題の論証過程たる地位を占めること(前記二の1及び2参照)、さらには本件論告一及び二の各部分の表現態様(前記二参照)等既に判示した事実を考慮すべきである。

ところで本件搬送について虚偽の自供をした理由を説明している中村の本件被告事件の公判廷における証言内容を証人甲野の証言に照らして検討してみるに、中村の説明が、本件論告一の部分で述べられまた親崎証人が証言するように「中村が説明している理由だけでは全く不自然不合理であり到底納得できない」ものであり、右証言の趣旨から常識的論理的に推論すれば「やはり本当に弟をかばう必要があつたためであると考えざるを得ない」性質のものであるとは、一概には解しがたいものである。かえつて、<証拠>を総合し前記二の3の説示も勘案して考察すると、本件論告一及び二の各部分は、的確な証拠による裏付けもないままに大胆な推論を展開したものと評さざるを得ないというべきである。しかも、<証拠>によれば、本件論告中には「榎下についても、坂本についても真相を知つているが故に、中村が担当したと供述しなければならない特別の必要があつたというべき」(本件論告中「第一(総論)三(中村隆治のアリバイ主張についての基本的見解)、3」)であるとの基本的立場から、「第二(各論)、一(増渕供述の信用性について)、4」及び「第二(各論)、二(榎下供述の信用性について、4」においても、本件論告一及び二の各部分と同一の観点から各供述の信用性の論証が試みられていることが認められる。しかしながら、これらについても前述同様に、的確な証拠による裏付けもないままに大胆な推論を展開したものと評すべきである。

さらに、証人甲野の証言によれば、検察官甲野は前記論告当時原告が前記第二走者として犯罪に加担したことについてこれを認定するに足る証拠がないことを十分認識していたにもかかわらず、原告が前記第二走者として犯罪に加担したとの疑いを強く持ち、その後現在に至るもその心境に変化がないことが認められる。以上の説示諸点を総合考察するならば、検察官甲野は、本件論告一及び二の各部分が、それを聴く一般人に対して「原告が本件搬送の第二走者として犯罪に加担したものである」ことを認識させ、その結果原告の名誉を毀損するに至ることを認識していたものと推認することができるものというべきであり、仮にそうでないとしてもこの点につき検察官甲野に重大な過失があつたものと断ぜざるを得ない。証人甲野の証言中右認定に反する部分はにわかには措信できず、他に右認定を覆すに足る証拠は存しない。

2  請求原因4の(二)のうち、検察官甲野が公権力の行使にあたる検察官であつて、その職務として本件論告を行なつた事実は当事者間に争いがない。従つて、被告国は、国家賠償法一条一項により本件不法行為による損害を賠償すべき責任があるといわなければならない。

四そこで、さらに進んで原告の損害額について検討する。

本件論告が傍聴者のいる公開の法廷で行なわれたことは当事者間に争いがない。そして、本件論告一及び二の各部分が原告の名誉を毀損するものであり、また原告が前記第二走者として犯罪に加担したことについてはこれを認定するに足る証拠がないことは既に判示したとおりである。ところで原告本人の供述によれば成年の男性である原告が右論告により精神的苦痛を受けたことが認められる。しかし<証拠>によれば、右公判廷の傍聴人は本件被告事件に関心を持つている者か原告と親しい間柄の者で比較的少人数であつたこと、右の者らは原告が前記第二走者であるとの意見についてむしろ反感を持つていたことが認められる。

以上判示の諸搬の各事情を総合考慮すれば、本件論告により蒙つた原告の精神的苦痛に対する慰謝料としては、金三〇万円をもつて相当と認める。<以下、省略>

(藤原康志 山崎末記 金井康雄)

(別紙)

一 中村はその弟中村博幸が逮捕されるのではないかと思い、同人をかばうため虚偽の自白をした旨弁解しているのであるが、これは重要な意味をもつ供述である。中村が虚偽の自供をしてまで、弟をかばう必要がどこにあつたのか。中村が説明している理由だけでは全く不自然不合理であり到底納得できないのであつて、やはり本当に弟をかばう必要があつたためであると考えざるを得ない。すなわち、中村は本件搬送についての知識を有し、真実弟をかばう必要を感じたため敢て虚偽の自供をしたものとしか考えられない性質のものである。そのことは、搬送についての具体的詳細な供述内容(その中には体験者でなければ知り得ない事項があまりにも多く含まれている)や、否認に転ずるにあたつて、弟のアリバイが成立するかどうかを特に気にしていることなどからみても推認するに難くない。

二 もし中村が本件搬送について全く無関係であるとするならば、弟をかばうため自分が搬送したと自供しなければならない程の取調状況は全くなかつたのである。中村が弟の犯行を隠ぺいする必要があつたと真実考えたとすれば、中村は弟が本件に関与した事実についてさらに具体的な認識を持つていたからである。つまり真に弟をかばう必要があつたからである。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例